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日本から四季が消えていく


「暦の上では」って何

 最近、夏が短くなった。夏が消えた、と言ってもいいかもしれない。今年など梅雨明け発表はあったが、その直後から雨が降り続き、ず〜と梅雨状態。梅雨前線は日本列島に居座ったままで、これを梅雨前線と呼び続けるか、それとも秋雨前線と呼び方を変えるか、気象予報士も迷っているようだ。
 ともあれ夏が来た実感がないのに「残暑見舞い」だけは8月上旬に来る。8月上旬といえば梅雨が明けたかどうかという頃で、これから夏本番、夏真っ盛りという季節。それなのに、もう残暑? とどうにも合点がいかない。
 ずっと以前から、このことが不思議だった。どう考えても実感と合わない。残暑どころか猛暑の最中なのに、なぜ残暑というのか。世の中おかしいのではないか。それともこちらの感覚の方がおかしいのか、と悩んでいた。
 いやいや悩むほどの問題ではないのだが、兎にも角にも合点がいかなかったのは事実だ。
 合点がいかないといえば、メディアでは必ず「暦の上では」と枕詞を付けて「今日から秋」「明日からは残暑見舞いになりますね」などと言う。こういう断りを入れないとおかしい、実感、実態と合わないということだろう。合わないなら合わせればいいようなものだが、なぜか実態に合わせようとしない。

 ところで「暦の上では」という暦とは太陽暦、それとも太陰暦? 太陽暦の8月上旬に立秋というのはおかしいから、この場合の暦は太陰暦のことだろうと思っていた。太陰暦の8月上旬なら太陽暦に直せば9月上旬。これなら立秋というのが実感としてピッタリ来る。
 だが、そうではなかった。「暦の上」での立秋とは太陰暦の立秋(7月上旬)を太陽暦に当てはめたものだったのだ(2014年の立秋は8月7日)。こうなるとますます訳が分からなくなる。なぜ、8月が秋なのだ(太陰暦では7月)。
 たしかに近年、地球温暖化の影響もあり、昔より暑くなっている。逆に言えば、昔の方が涼しかったということだ。だからといって8月上旬から秋ということはないだろう。多少早めに見積もっても秋風が吹き始めるのは早いところで月遅れの盆過ぎ頃からではないか、と思う。
 第一、残暑というのは、もう暑さが終わった季節のはずなのに、まだ暑さが残っている、という言葉だろう。どうにも最近、日本語が乱れている、などとあらぬ方向に愚痴を向けていたが、少し調べてみて、立秋が7月上旬に来ている理由がなんとなく分かった。

 近年、夏というのは6月〜8月で、9月からが秋になる。ところが太陰暦で季節を判断している時代は季節を次のように考えていたようだ。(正確に言うと、二十四節気による分け方)
 春:1月〜3月
 夏:4月〜6月
 秋:7月〜9月
 冬:10月〜12月

 季節の分け方には色々あり、現在、我々日本人が使用している季節分類は気象庁による分け方に従っているわけで、感覚的にはその方が概ね合っているのではないだろうか。
 年々、季節感がなくなっていくだけに、せめて季節の挨拶ぐらいには季節感を感じたいと思うのは私だけだろうか。

日本から四季が消える

 さて、季節感を大切にしたいというこちらの気持ちとは逆に、ここ数年、日本から四季が消えつつある。やがて、日本列島は完全に亜熱帯気候になり、雨季と乾季の二季になるのではないか。
 例えば今夏、気象庁は梅雨明け発表をしたが、その直後から雨が降り続き、前線は日本列島に停滞したままで、このままいけば秋雨前線に変わりそうだ。
 夏とは言っても、もはやかつての夏のイメージはない。たしかに気温は高いが、それでも35度を超える猛暑日は少なく、代わりに高い湿度を伴った蒸し暑い日が続いている。

 「夏が消えた」−−。冒頭、そう書いたが、真っ青な空に、モクモクと顔を出す入道雲、照り付けてくる陽射し・・・、こうした夏の姿にもう何年も出合っていないような気がする。
 出合っていないと言えば、半ズボンにランニングシャツ、頭に麦わら帽子を被り、虫取り網を持って野を駆けて行く少年の姿もアニメの中にしか存在しなくなった。田舎に帰っても麦わら帽子姿はほとんど目にしない。農作業をしている人でさえ、頭に被っているのは野球帽だ。

 ノスタルジックに「過ぎしよき日」を懐かしんでいるわけでも、懐古主義に走っているわけでもない。田園風景も里山の風景も様変わりし、一度氾濫した川にはコンクリート製の堤防が作られ、それが見る人を威圧してくる。水害を防ぐためにはやむないことかもと思っても、高さ数メートルの壁は怒り狂う自然に恐れ慄き、ひたすら防御に備えるだけのようで悲しくもある。

 高い壁で彼我を分け、自然との共生を拒絶する一方、その内側では自然との融合が否応なく進んでいる所もある。
 子供の頃は身近に見かけたこともなかった鹿や熊の姿を目にする機会が増え(実際、鹿には何度もお目にかかった)、人間と自然との結界が崩れつつあるのを感じる。動物とて好き好んで人間が住んでいる近くにまで降りて来たくはないだろうが、山が棲みにくくなれば結界を越えて近づいてくるのも仕方ない。列島は動物にとっても棲みにくい場所になりつつあるようだ。

 今夏、長崎の日照時間は記録的な短さだったようだが、西日本各地は同じような状況。いずこも日照不足に悩まされ、野菜類の価格高騰という形で家計を襲っている。
 いたずらな自然開発と地球温暖化が気候変動に影響を与えているのはほぼ間違いないだろう。
 人類はそのことをいつ反省するのか。それとも反省することなく、このまま破滅への道をひた走るのだろうか。


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